2012年01月06日

◆年末詣で報告の続き

◆年末詣で報告の続き
天命ナビゲーター開運鑑定家・藤尾美友です。
今朝8時に、カラー版メルマガ 小寒号を発行しました。
登録しているのに届いていないという方は、またお手数ですがメッセージをください。
yahooメールかgmailは初めて来たメールは一旦迷惑メールに入れちゃうという噂も聞きました。
そこから受信フォルダーに移すと、2回め以降は迷惑メールに移動しないのかも知れません(ホントのところはわかりません)
ご迷惑おかけして申し訳ありません。
さて、昨日の年末詣で報告の続きです。
この後、1社参拝組と3社参拝組が別れて、3社参拝チームは車に乗って、まずランチです
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みんな美味しそうな顔をしていますね~!!
初めての参加者の方も開運塾生、塾卒業生の方もいましたが、みんなすっごく仲良くなって、名刺交換したり、仕事の話で盛り上がったりしていました。
こちらは、中山神社。
大宮氷川神社と氷川女体神社のちょうど中間地点にある一の宮に値する神社です。
大宮氷川神社が男体社、氷川女体神社が女体社で、中山神社が簸王子社といわれた時代もありました。
それは男体社がスサノオノミコトで、女体社がスサノオの奥様のイナダ姫さまで、簸王子社がこのご夫婦の子とされるオオナムチノミコトがそれぞれ祭られていたからなんですね。
今では大宮氷川神社にこの三神が合祀されるようになり、中山神社と女体神社の方がどんどん注目されなくなってしまいました。
でもこの三社は、もともと見沼の水の神さまをお祭りしていた農耕民族としてはとっても大切な役割の神社だったのです。
でも開発の手が入り、見沼を開拓することになってしまい、見沼にたくさんいました龍神さまたちが悲しんだ歴史があります。
実は、大宮氷川神社にも中山神社にも氷川女体神社にも、見沼の代わりとされる御神池が残っています。
本来この御神池を大切にして神さまのお力をさらに増さなければならないのに、この御神池ですら埋め立てようという動きがあったりするそうです。
まさに大自然に神宿ることを知らない人間は怖いもの知らずだと思ってしまいます。
そういうことを繰り返していると、武蔵国(東京都・埼玉県・神奈川県北部)がますます開運できなくなってしまい、日本の中核となっているのが東京都心ですから、日本にとっても大打撃になります。
ですので今回の中山神社と氷川女体神社では、そういうことを繰り返さず、しっかり守るべきものを守って感謝をして、開運していきますように、という思いで参拝をさせて頂きました。
一緒に参加してくださった皆さんにもこのお話をして、ますますご開運できますように出来ることをやりますという気持ちでお参りしました。
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こちらは中山神社の鳥居です。
よくみてみると、鳥居が龍神さまの形をしていますよね。
こういうところからしても、やっぱり水の神さまを祭る神社、水の神さまとともに龍神さまを祭る神社なのです。
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こちらはご本殿を後ろからお参りしたところです。
実は旧本殿がこのご本殿のさらに後ろにあり、こちらは重要文化財で見物するように置いてある感じでしたが、元々いたお社が好きな神さまもいますので、後ろのご本殿でもしっかりお参りしました。
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こちらが氷川女体神社です。
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実はご本殿が修復中らしく、このようなお姿
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こちらがお仮殿としてありましたが、向きが違うので私的にはちょっと違和感でした。
なぜ同じ方向に向けなかったのでしょう???
女体神社に来ると、やはり見沼の龍神伝説が有名で、龍神さまのたたりを恐れて、途絶えていたお祭りが復活されたりした話が書かれてあります。
でもたたりではなく、人間がしたカルマに対しての怒りですよね。
人間は大自然に活かされている存在であり、決して、人間が大自然をコントロールする存在ではないのです。
龍神伝説をひとつ紹介しましょう。
亨保12年(1727年)に江戸幕府八代将軍徳川吉宗の命により紀州藩士・井沢弥惣兵衛(いざわやそべえ)が見沼の干拓、新田開発の工事の監督を行なった。
弥惣兵衛は大日堂に工事の詰所を置いていたのだが、ある夜美しい女が弥惣兵衛の夢に現れ、
「私は見沼に棲む龍神です。新しい棲み家を探すためにどうか工事を99日間延期して下さい。」と懇願した。
しかし予定通り工事を開始すると事故や災難が続き、やがて弥惣兵衛自身も病気となって工事は進まなくなった。
そこへ再び女が夢に現れ、病気を治す代わりに私の願いを聞いて欲しいと頼んだ。
そこで弥惣兵衛が頷くと病気は日に日に良くなっていったという。
そんなある晩のこと、部下が弥惣兵衛の部屋を覗くと恐ろしい蛇の姿をした女が弥惣兵衛の体を嘗め回しているのを見て腰を抜かした。この話を聞いた弥惣兵衛は驚いて詰所を片柳(大宮)の万年寺に移した。
万年寺には龍神の訪れもなく、その後は順調に工事が進んだ。
もはや龍神が諦めたかに思われたある日、村人の葬列が万年寺の山門にさしかかったときに突然嵐が巻き起こり、棺桶が空に巻き上げられて、そのまま飛んでいってしまった。それを見た村人達は、これは龍神様の祟りにちがいないと恐れた。
しかし工事を終えた弥惣兵衛が万年寺から引き払うと、その後はピタリと怪奇現象は起こらなくなったという。
その後、見沼の龍神は天に上ったとも印旛沼(いんばぬま)に移り棲んだともいわれているが、時々この池に降りてくるといわれている。
(郷土資料参照)

便利に開発された今の都会で生活させて頂いて、恩恵を受けている私たちですが、大自然に大昔からいます多くの神仏や龍神さまなどにご無礼もたくさんしてしまっていることを忘れてはいけないですね。
ちょっと固い話になってしまいましたが、私はこういう話も踏まえて、神仏に喜んで頂けるようなお祈りや活動をこれからもしていきたいと思っています。
まずは、産土神社にお参りしていない方は、一番産土の大神に通じやすい産土神社を神社鑑定して、お参りを始めましょうね。
たくさんの神仏からのご褒美がわかるようになると、嬉しいことも多々ありますし、産土様を大好き♪な人をもっともっと多く増えるように今年もがんばりたいと思います。




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