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青森旅ー五所川原アラハバキ様のお膝元へ

みちのくひとり旅シリーズ、4日め

さて、旅の記録の続きです。

3日めは十和田市から宿泊先の弘前に車で大移動しました。
お天気が雨で、八甲田山は霧がすごくて車の運転危ないから
高速を使っていってね。とクライアント様に
教えてもらっていたのに。

ナビの通りにいったら、なんと山越えルートでした。

本当にシャレにならないくらい濃くて見えない。
何度もガードレールにドキッとしました。

でも無事、弘前のホテルに到着。

ここでやっと、気持ちいいベッド、机と椅子、テレビ、
そしてフリーwifiで、ネットも電話もできるようになりました。

もちろん十和田のクライアント様のおうちでもつながりましたが
仕事中ですからね。
メールだけは昼休みにチェックしましたがほとんど見てませんでした。

ここで、「ああ便利な生活ってなんてありがたいんだろう❤」と
また感動したのでした。

 

ないことを体験することで、あることの当たり前ではない
有り難さを身をもって感じられます。

 

さて、説明するのが一番難しい五所川原になぜいったのか。

このブログは相当マニアックです。
マニアックな話は苦手という方はここで離脱されてもよいかも。

どこまで話そうか・・・悩ましいのですが。

 

私にとっては長年の悲願でもあった
とても重要な用事がありました。

それは「アラハバキ大神威様にお詫びをする」
ということです。

私のツアーに参加されている方は、
何度も聞いたことがあるこのお名前ですよね。

 

謎の神とされていて、いろんな説があります。

その中でも私が信じているのは、民俗学説

中山太郎氏は、折口信夫氏の考えを更にすすめて
『地主神考』の中で次のように述べている。

  1. 天孫民族が、我国に渡来せぬ以前に
    先住民族によって祭られた神。
  2. 天孫渡来後において、天孫民族以外の異民族によって祭られた神が、
    年時の推移によって、天孫民族の祭った神に取って代られる場合。
  3. 同じ天孫民族が祭った神が、何等かの理由によって、
    他の天孫民族系の神と変更される場合。

先住民族と後来の民族の交替が行われたという考えに立ってみれば、
客人神となったアラハバキ神とは、母屋にいた神が追い出されて
自分の家の庇を借りるような形で生きながらえている神と
いえることができるであろう。

謎の神アラババキより引用

アラハバキ大神威は全国のいろんな聖地に隠れ神として
祀られています。

いわば埋没させられた神様なのに、
表に出ているご祭神よりももしかしたら
もっと地球や日本、人間を今でも
助けてくださってるかもしれない神様です。

なぜならご存在としてかなり太古からの方であり
持てるパワーがすごいのです。

 

パワースポットと呼ばれている場所にはたいてい
この方や国常立大神がいらっしゃるのです。
(隠れ神としてのことが多い)

私は各地の開運ツアーの時に、このアラハバキ大神威に会える場所を
ご案内することが多いのです。

その度に神様もすごく喜んでくださり、皆さんの願い事にも後押しを
くださいます。

産土信仰を伝え続けるという私の天命は、裏を返せば
前世でアラハバキ大神威様のような土着神、地主神さまを
埋没する側であったという大きなカルマがあるのです。

今世の事しか記憶がないので、
「こんな小さな祠に追いやられておかわいそうに・・・」
などと言っておりますが、
それを自分が前世でやった人間だったかもしれないという事です。

古神道を学んでいた10年間の間にも、それに気が付くチャンスは
何度もあったのだと思いますが、はっきりとは教えてもらってはなく、
気付くのが遅くなりました。

そのあと、こんなにも多くの人々に
産土神社の事を伝え続ける私の天命とは、
一体何があってのことなのかを探求した時に、
全部がつながったのでした。

はじめのうちは、神様大好き、開運大好きで、
ひたすらお役に立ちたくてこのお仕事を続けてきました。
そしていろんな聖地にお連れしてきたわけですが
ここにきて、ようやく、だから私はこれが天命なのか。。と
腑に落ちたわけなのです。」

 

それでアラハバキ大神威の一番の本拠地である津軽・五所川原には
ぜひ一度行って、前世のお詫びをしなくてはというのが今回の旅の目的です。

 

最近では瀬織津姫(せおりつひめ)様や、国常立命(くにとこたちのみこと)
のような埋没神もどんどん表にでてくる時代になりました。

私はアラハバキ大神威の大切さをもっと知ってもらって、
大切に祀ってもらえるようにすることが本当のお詫びに
なるのだろうと思っています。

だから長年書き続けてきたブログには一度もこの神様のお名前を書いたことは
ありませんでした。


ここは十三湊(とさみなと)
しじみが採れるようで漁をされていました。

津軽安東氏政権が栄えた場所で、古代東北文明の首都でした。
かつては最大の国際貿易港でした。


十三湊は相当な規模の宗教都市だったらしく、
そのひとつである山王坊日吉神社へ行ってみました。

日吉神社が鎮座するこの周辺一帯は古来から
霊地・聖域として村民に畏怖されてきました。

昭和五十七年の発掘調査で神社仏閣の礎石跡や
十三湊の繁栄と同じくする室町期の遺物が出土しており、
安藤(東)氏が勧請した神仏習合の宗教施設と考えられています。


拝殿からまっすぐではなく、
上に上がったところにご本殿がある


この石神さまはアラハバキ様か?


このあたり一帯寺院もあった形跡

かなり巨大な神社・仏閣が建っていた様子でした。

こんなマニアックなところ誰も来ないだろうと思っていたら
30~40代くらいのカップルがやってきてちょっと驚いた。
→向こうの方がよっぽど驚いたか。私一人だし。
よほどの歴史好きか?!

長くなったので五所川原編は後半につづく

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