みちのくひとり旅シリーズ、4日め後半
この日は大型台風を本州を直撃している日で、
天気予報でもずっと雨マークでした。
だからアラハバキ大神威にお詫びにいくこの日に
大雨の中だったら、よっぽどのお怒りでとても
お詫びも通らないのかもなぁ。。。と
思っていました。
ところが、雨が降ったのは朝ちょっとだけ。
そのあとは、なんとずっと曇りで参拝は順調に
進んだのでした。
車を走らせていると妙に存在感のある神奈備(かんなび)の山
ここが後でいく靄山(もややま)でした。
神奈備というのは、神様が宿られている、もしくは降りてこられる
ご神体山(山そのものが神)のこと。
こんな風に尖がった三角形の山は神様が降臨しやすいのだとか。
その靄山に近いところに気になる看板を見かけて
予定のなかった神社へ寄り道
熊野宮でした。
案内板より
熊野宮建仁2年(1214)安部貞李が
紀州那智の熊野権現の分霊を祀った宮といわれる。
憤館の守護神として崇められた。
紀州那智の熊野権現の分霊を祀った宮といわれる。
憤館の守護神として崇められた。
寿永2年(1183)5月3日安部氏李は
望湖山神護寺を開山し立ち入れ禁断の秘寺とした。
望湖山神護寺を開山し立ち入れ禁断の秘寺とした。
東北の歴史では平泉文化を生み出した奥州藤原氏、
奥州安倍氏が良く知られている。
奥州安倍氏が良く知られている。
藤原氏や安倍氏を支えた経済的背景には現在の青森県五所川原市の
十三湖の日本海への開口部にあった十三湊(とさみなと)の存在がありました。
十三湖の日本海への開口部にあった十三湊(とさみなと)の存在がありました。
東北で産出される金の存在もまた大きな支えでしたが、
十三湊は近畿の朝廷の支配から外れて独自にロシア沿海州などとの
北方貿易を盛んに行ない、富の源泉であったのです。
十三湊は近畿の朝廷の支配から外れて独自にロシア沿海州などとの
北方貿易を盛んに行ない、富の源泉であったのです。
今の安倍首相は、アラハバキ王国の建国者である
安日彦(あびひこ)王を始祖とするルーツではないか
と言われています。
安日彦(あびひこ)王を始祖とするルーツではないか
と言われています。
洗磯埼神社
御祭神は大己貴命と少彦名命と現在はなっていますが
由緒では安倍・安東氏の祖神であるアラハバキ大神威を
祀った神社であるといわれている。と書かれてあります。
祀った神社であるといわれている。と書かれてあります。
明治以前は薬師信仰が盛んで参詣者が近隣から集まり
賑わいをみせていたそうです。
賑わいをみせていたそうです。
こちらも拝殿には入ってもよさそうだったので
入らせて頂き、アラハバキ大神威様に土下座しながら
お詫びをさせて頂きました。
入らせて頂き、アラハバキ大神威様に土下座しながら
お詫びをさせて頂きました。
磯崎という名前だけあって、日本海がすぐそこに見えています。
境内を一通り見て回るも、やっぱりこちらが気になる
そう、靄山(もややま)
この神社側からみると鍋蓋をかぶせたような形です。
地図が詳しくないのですが
雨も降らずにいてくれていますし、
雨も降らずにいてくれていますし、
ダメ元で近くまで行ってみることに。
すると方向音痴ですぐ道を間違える私が、
導かれるように偶然ちょうど登山口へ到着。
地元では霊山として崇められている「靄山(もややま)」
「モヤ」はアイヌ語で「小さい」を意味するといわれ、
「モヤ」と名のつく山は、北海道や青森県、
「モヤ」はアイヌ語で「小さい」を意味するといわれ、
「モヤ」と名のつく山は、北海道や青森県、
秋田県に多くありますが、
どれもきれいな三角形の形で、昔から人々に神聖視され、
信仰の対象とされていたようです。
どれもきれいな三角形の形で、昔から人々に神聖視され、
信仰の対象とされていたようです。
ここ脇元の靄山は標高150m位の山ですが、
数々の伝説が伝わる山です。
青森県には、八甲田山をはじめ黒石市の黒森山など、
岩木山と「背比べ」をした山の昔話がありますが、
この靄山もまた、そのひとつです。
岩木山と「背比べ」をした山の昔話がありますが、
この靄山もまた、そのひとつです。
頂上には「岩木山神社(脇元岩木山神社)」も建っており、
岩木山で盛大にお山参詣行事が行われている頃、
同じくここ靄山でも「さいぎ、さいぎ」の声と登山囃子の演奏が響き渡ります。
岩木山で盛大にお山参詣行事が行われている頃、
同じくここ靄山でも「さいぎ、さいぎ」の声と登山囃子の演奏が響き渡ります。
この山は昔、安東氏が築いた「人工の山=ピラミッド」であるという話もあります。
さて、雨が降りそうなのに降らずにもってくれている。
迷子になってたどり着かないのなら呼ばれてないと思うけど
全く迷わずに到着してしまう。
迷子になってたどり着かないのなら呼ばれてないと思うけど
全く迷わずに到着してしまう。
これは登れってことですね!!!!
ということで軽装にして、登山道を出発。
かなりきつい登り道。大丈夫か?わたし・・・・
途中からは木にロープが張られています。
息も切れてぜーぜーしながら、とにかく黙々と
頂上を目指しました。
頂上を目指しました。
そして頂上に到着。すっごいみはらし。
晴れていると弘前の岩木山も見えるのだそうです。
汗だくです。
「脇元岩木山神社」
ご祭神は弘前の岩木山神社と同じく
顕国魂神、多都比姫神、宇賀能賣神、
大山祇神、坂上刈田麿命が祀られます。
顕国魂神、多都比姫神、宇賀能賣神、
大山祇神、坂上刈田麿命が祀られます。
弘前の岩木山神社とレイラインでつながっていて
その間にも気になる神社がいくつか通っていました。
その間にも気になる神社がいくつか通っていました。
靄山山頂は152mと書かれていました。
奈良の三輪山(大神神社の)もそうですが、
神奈備の山は傾斜がきつくてひたすら登りで
本当にしんどい。
神奈備の山は傾斜がきつくてひたすら登りで
本当にしんどい。
そしてこちらにいらっしゃるご存在にもご挨拶と
お詫びなどしていたら、たくさんの蚊に見つかってしまった。
お詫びなどしていたら、たくさんの蚊に見つかってしまった。
それで大急ぎで退散することに。
なんだか空も暗くなってきましたしね。
なんだか空も暗くなってきましたしね。
でも急坂を必死で登ってきたけど、今度下りの方が
よほど怖い。滑って転んでしりもちついたらどうしよう・・・・
よほど怖い。滑って転んでしりもちついたらどうしよう・・・・
と思ったけど、先ほどのロープがずっとあったので、
それをしっかりと握って、転ばずに無事降りることができました。
それをしっかりと握って、転ばずに無事降りることができました。
よかったよかった。。。ここからこの日の宿のある五所川原のホテルに移動するのですが
結構遠くて驚きました。同じ五所川原市内といっても、十三湖の方と町の方ではかなり
距離があるようです。
結構遠くて驚きました。同じ五所川原市内といっても、十三湖の方と町の方ではかなり
距離があるようです。
ネットで偶然見つけたホテルでしたが、エルムシティという
とても大きななんでも揃いそうなショッピングセンターが
ひとつの町みたいに作られてる中の一角にあるホテルでした。
とても大きななんでも揃いそうなショッピングセンターが
ひとつの町みたいに作られてる中の一角にあるホテルでした。
エルムシティの中の温泉に入れる券がついている宿泊プラン
だったので、ホテルについたらとにかくお風呂に行ってみました。天然温泉エルムの湯
だったので、ホテルについたらとにかくお風呂に行ってみました。天然温泉エルムの湯
この温泉がまたよくて、しかも藤尾が大好きな
岩盤浴もたったの640円で入れちゃうのです。
岩盤浴もたったの640円で入れちゃうのです。