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青森旅ー岩木山周辺で鬼が気になるわけがわかった

みちのくひとり旅シリーズ、4日め

この日は弘前の神社をお参りする予定

いくつかピックアップしていたので
雨がひどくないうちにとお参りに急いだ。

まずは鬼神社(きじんじゃ)
鬼の上のノがないのが正式な名前

御祭神は、高照比女神、伊奘那岐大神、大山祇神となっていて、
由来によると、坂上田村麿東征のおり、
岩木山山頂奥宮に鎮まる高照姫神の霊験により
当地に再建されたお宮とされている。


とてもきれいで神様の気配がする神社だ


この鳥居は鬼神社独特のものでしょうか。
俵がのっかっていますね。重そうなしめ縄です。


鳥居から入って左に曲がったところにある拝殿です。
扉が閉まっていて中は全然わかりません。

とりあえず、ご挨拶をして、ご本殿の方へ回ってみました。

岩木山から神様が来られたなら
このご本殿の先は岩木山なのか。

そう思って、山ナビというアプリでみてみると。


ご本殿ではなく、左の方に岩木山があるようだ。
おかしいな?と首をかしげてました。


そしてご本殿の横にかかっている社号額が気になって
写真を撮っていると・・・

ガチャガチャと音がして、地元のおじさまがちょうど
拝殿の所に来られていました。

「よかったらあがってみていきなー」
(もっと方言だったと思うけど)

 

そんな風に招いてくださって、先ほどの真っ暗で何も見えて
いなかった拝殿の中に入れて頂けることになりました。

感激しながら、お話を伺いました。

私「なぜご本殿は岩木山の方に向いていないのですか?」

おじさま「ここらの人はみんな岩木山の神様だとは思ってねー。
ここらの地名は鬼沢っていってな。」

といって、このようなお話を教えてくださいました。

弥十郎は大人(鬼)に度々仕事を助けてもらっていました。
ある日、弥十郎は、水田を耕しているが、水不足で困っている事を大人(鬼)に話しました。
それを聞いた大人(鬼)は、
「私が何とかしますから、私の仕事をしている所を見ないでください」と言いました。
そして、大人(鬼)は、一夜にして堰(水路)を造り、水田に水を引いてくれました。

村人は喜び、この堰を「鬼神堰(キジンセキ)」や「逆堰(サカサセキ)」と呼び、大人(鬼)に感謝しました。

ところが、弥十郎の妻が大人(鬼)の仕事をしている所を見てしまったため、
大人(鬼)は堰をつくる時に使った、鍬とミノ笠を置いて去ってしまい、
二度と姿を見せなくなりました。
弥十郎はその道具を持ち帰り、祀ったのが現在の「鬼神社」の始まりであり、
地名も「鬼沢」になったと伝えられています。

歴史と伝説の里鬼沢より転載

だから鬼神社のノがないのは、角が生えていない
豊穣をもたらせてくれたありがたい鬼神様に
皆さん感謝してお参りをしているそうです。

 

そこで、私が小さい時から「泣いた赤鬼さん」という絵本が
ものすごく琴線に触れる本で、今でも読んだら泣いてしまうのです。

なぜこんなに赤鬼さんや青鬼さんの事で泣けてしまうのだろう。と
長年不思議だったのですが、ここに来てわかったような気がしました。


これらは近年に奉納されたものらしくて、鬼の角がある
字になってしまっていますが、本来はないと強調されていましたよ。


春日社 同じ形のしめ縄ですね。


この鳥居の奥には


弁天社です。

そしておじさまお勧めの巌鬼山神社(がんきさん)に急ぎました。


紅葉がすっごく美しい!ここでまた感動ひとしお。


気持ち良すぎる境内です。


この大杉がすごい存在感です。


ほんとに気持ちいい!

拝殿は電気がつけられて、ご自由に参拝ください。
といって入れるようになっていました。

巌鬼山神社の祭殿が真ん中にありました。
ご祭神は大山祇神さま

そして左手には津軽三十三観音で十一面観世音菩薩様が
いらっしゃいました。

延暦十五年(796)の創立。
もとは、巌鬼山西方寺観音院。
先ほどもでてきた坂上田村麿により、
大同二年に再建されたそうです。

そして、岩木山山頂の奥宮に対する下宮なのだそうです。
ということは、津軽国一宮・岩木山神社の元宮ということになります。

ここから百の沢を抜けて今の場所に鎮座されたので、一の宮のある場所を
百沢っていうのだそうです。

やはり岩木山も神仏習合の霊山でしたね。。。

 

この日はたくさんの神社にお参りしたので
何回かにわけて書いていきますね。

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