淡路島にある霊山の論鶴羽山(ゆづるはさん)
神戸に同じ名前の弓弦羽(ゆづるは)神社という神社があります。
調べてみると、やはりこの論鶴羽神社と同じご祭神。
もしかしたら、淡路の論鶴羽神社が奥宮で弓弦羽神社が里宮
なのかもしれませんね。
そして、あのフィギュアで大人気の羽生結弦選手も
お忍びで、この論鶴羽神社にもお参りされたという噂です。
そういうミーハーな話だけではなく、本当にこの論鶴羽山は
いろんなレイラインが通ってる重要な聖地のようです。
思いついた関連がありそうな聖地を結んでみたら、やっぱり一直線です。
熊野の神倉神社、論鶴羽神社、比婆山もイザナミ様が葬られた地と
されているのです。
これだけでなく、いろんなレイラインが通る
重要な聖地であるようです。
裏参道から登り山頂を通って、
ちょっと降りたところに
論鶴羽神社はありました。
論鶴羽神社(ゆづるはじんじゃ)
国生み信仰の淡路島に始まり、
密教が伝わると神仏習合修験道の山として
二十八宇の大伽藍建立したほど
大きな信仰の聖地でした。
また、熊野三山の元宮と伝わる神社でもあります。
このご本殿に祀られるご祭神は熊野と同じ
伊弉冊尊(いざなみのみこと)
事解之男尊(ことさかのをのみこと)
速玉之男尊(はやたまのをのみこと)
母なる神様、伊弉冊尊を主祭神にお祀りする神社です。
でも「論鶴羽大権現」と幕があるように、
神仏習合だったので、神様でもあり仏様でもある
イメージの方がしっくりきます。
頂上社
社伝によると、
およそ2100年の昔
伊弉諾、伊弉冊の二柱の神様が
鶴の羽に乗り給い、高天原に遊びたもうた。
狩人が鶴の舞い遊ぶのを見て、矢を放つ。
羽に矢を負った鶴は、そのまま東の方の峰に飛んでかくれた。
狩人その跡を追って頂上に至るとカヤの大樹があり、
その梢にかたじけなくも日光月光と示現したまい
『我は、伊弉諾、伊弉冊である。
国家安全・五穀豊穣成就を守るためこの山に留まるなり。
これよりは、諭鶴羽権現と号す。』
と唱えたまうた。
狩人、涙を流し前非を悔い、その罪を謝し奉り、
弓矢を捨てその地を清め、大工を招き一社を建て神体を勧請し奉る。
カヤの大樹に舞い降りられた処がこの頂上社だそうです。
そしてこちらの奥之院、篠山神社が
狩人が一社を建ててご神体をお祭りしたという
古いお社
元の諭鶴羽神社
実は、自分のお参りの時は、
あまり思い込みをもって
お参りしないようにするため、
事前に由来はあまり読んで行きません。
自分の感覚を磨きたいというのもあります。
今はブログを書くためにいろいろ調べて
解説してますが、行ったときは知識はあまりない状態。
その感覚の中で一番感応したのがこの場所でした。
一見、小さくてコンクリート作りにガラスの扉で
現代的な建物。
こんなところに神様が?
と思うところですが、祈ったらここが一番
すごいお返事が来た場所だったのです。
境内の中にはいろいろ見どころがあります。
ご本殿の右にお祭りされてました
瀬織津姫様のような気がしましたよ。(私の感覚)
この大日堂の建立についてをみて感動しました。
修験行者が焼き討ちで消滅してしまった
論鶴羽山の復興を祈願するため、30数年護摩行を
続けられたというお話が書いてありました。
こんな山奥に30数年、毎日毎日護摩を焚いて
祈願を続ける生活。
山ごもり。かなり憧れます。
でも夫に笑われました。
1週間も無理やわーって。
本当に先人の方々はすごい方ばかりです。
天の浮橋遥拝所です。
天の浮橋とは・・・
沼島(ぬしま)です。
ご存知ですか?
古事記でイザナギ様とイザナミ様が
国生みをした地です。
確かに海と空が境目がわからなくて、
島が浮いているように見えます。
沼島には、おのころ神社や上神立岩などがあります。
機会があったら一緒に行きましょう!
帰りに山道の脇に生えているきれいな
この人たちを持って帰りたくてうずうず
シキミ
シャシャキ
榊(さかき)
だけど、ご神体山の草花を持って帰るのは厳禁です。
看板にも「持って帰るの禁止」と書いてありました(笑)
あまりにも虫に食われてなくてきれいから、
ついついほしくなっちゃいましたよ。
山を下りたら、おなかがすいた一行は
美味しいランチを求めて
道の駅福良へ
私は、福良で採れたうにのうに丼
夫は海鮮丼
写真撮り忘れましたが、アナゴの天ぷらとビールも(爆)
この道の駅には足湯があるようです。
見に行ってみると、こんなうず潮の足湯が!!
この後、日帰り温泉へ
山登って汗かいてるウエアも着替えて、温泉入って
すっきりです。
淡路島って本当に夕陽がきれいです。
今回もいいお天気だったので、きれいな夕陽が
観れました。
前回は緑PAで狙ってなくて偶然見れたのですが
今回は、室津PA
早く帰りたい夫をなだめて、夕陽が沈むのを
何枚も写真に納めたのでした。