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【京都旅】向日神社

京都旅シリーズの最後は、クライアントさんの鎮守神社でもあり、お子さんの産土神社、鎮守神社にもなられている、向日市の向日神社に参拝させていただきました。
この日は、台風が近畿に来る予定で、クライアントさんとの参拝は、かっぱを着て暴風雨の中の参拝になるのではないかと心配したほどの予報でした。
ところが、朝、お会いした時間から、全く雨に降られず、曇りのお天気で大変守られてるなぁと感じた一日でした。
本当はもう一社お参りしたかったのですが、時間の関係で、今回は向日神社で終わりにすることにしました。
向日神社はこのクライアントさんだけでなく、他のクライアントさんの産土神社、鎮守神社にもよくなって頂いている大変お世話になっている神社ですので、お参りするのを楽しみにしていました。

クライアントさんがわざわざ車を神社から少し離れた駐車場に停めて歩いていきましょう。とおっしゃいました。
その意味がわかりました
$一生変わらないあなたの神様を味方につけるオンリーワン開運道場!-F1000807.jpg$一生変わらないあなたの神様を味方につけるオンリーワン開運道場!-F1000807.jpg
こんなに長い参道!しかも、木がいい感じに参道の両脇から囲み、とっても素敵なんです!!!
向日神社の駐車場はこの参道を車で走っていったところにあるそうです。
そこに停めてしまうと、この参道の素晴らしさを感じてもらえないからと、気を利かせてくださったのでした!(さすがです)

:::祭神:::
  向日神
  火雷神
  玉依姫命
  神武天皇
向日神社は延喜式神名帳に記載された式内社であり、神名帳においては、
山城国乙訓郡向神社(むこうじんじゃ)と称され、後に火雷神社(ほのいかづちじんじゃ)
を併祭して、今日に至っています。
この両社は、同じ向日山に鎮座されたので、向神社は上ノ社、火雷神社は下ノ社
と呼ばれていました。
向神社の創立は、大歳神(おおとしのかみ)の御子、御歳神(みとしのかみ)
がこの峰に登られた時これを向日山と称され、この地に永く鎮座して、御田作り
を奨励されたのに始まります。向日山に鎮座されたことにより、御歳神を向日神
ともうしあげることとなりました。
火雷神社は、神武天皇が大和国橿原より山城国に遷り住まれた時、神々の
土地の故事により、向日山麓に社を建てて火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)
を祭られたのが創立です。
後、養老2年(718年)社殿を改築し、新殿遷座の際、火雷大神の御妃神、
玉依姫命(たまよりひめのみこと)を、また創立のえにしにより神武天皇を
併祭されました。
その後、建治元年(1275年)下ノ社が荒廃したことにより上ノ社に併祭し、
以降4柱を併祭、向日神社として今日に至っています。
上ノ社は五穀豊穣の神として、下ノ社は祈雨、鎮火の神として朝廷の崇敬の
特に篤い神社であったことは、古書に数多く見られます。(向日神社HPより)


すごく立派な拝殿!
きけば、明治神宮はこの向日神社をモデルにて建てられたそうです。

お参りしどころはさすが式内社だけあって、いっぱいありますが、私が一番ココだ!!と思った場所は、ご本殿の裏にある、この場所
うわーっと思って、ここはなに???と思ったらすかさずクライアントさん
ココは前にご本殿が建っていた場所だそうです。と教えてくださって納得!
だからかぁ。。。。としばしそのパワーを頂いたり♪充電
鶏冠木の苑というそうですが、ご神木もものすごいパワーでした

映ってるのわかります?


さらに裏手にあった、お不動さんや龍王さまをお祭りする場所
向日神社のHPには入っていませんでしたが、ここもご神木の根っこのところにお祭りされていたりして、気になります。


最後に五社神社、慣れ親しんだ国津神系の神さま方が祭られていました。
だんだん暗くなってしまっていい写真も撮れませんでしたが、紅葉の季節や桜の季節には、とっても美しい参道になるそうで、また来てみたいです
この後、駐車場に戻って車に乗ったとたん、雨がポツポツ・・・とガラスに。
なんてタイミングなんでしょう。
月1回くらい、全国に産土神社や鎮守神社があるクライアントさんの方へ、私の方から出張していって、開運セッションや神社参拝をさせていただいて神さまのご開運などもお手伝いさせて頂きたいなと思っています。
お友達を誘ってくだされば、安く呼んでいただけると思います。
もし来てほしい!という方は、ぜひお気軽にご相談くださいね!お待ちしています♪

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