開運研究所公式ブログ

2010.11.02

【京都旅】興正寺と熊野神社

京都旅日記の続きです。
長楽寺の宿坊にクライアントさんが車で迎えにきてくださいました。
大急ぎで部屋の荷物をしまいこみ、お布団も自分であげて、お部屋のお片づけ。
そして車に荷物を積み込み、精算。
向かうは、興正会館。興正寺の宿坊にもなっている会館です。
今回こちらの研修室をお借りして、そこで開運セッションを行いました。
でもやっぱり興正寺のご本尊さまである阿弥陀如来さまにもご挨拶しておかなくては。とクライアントさんと一緒にご挨拶。
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興正寺というのは、真宗興正派といって、明治になって、本願寺から分かれたやはり親鸞聖人が開祖の宗派だそうです。
やっぱり阿弥陀如来さまに今回も大変お世話になっております。
開運セッションが終わった後、クライアントさんに三条のお豆腐料理のお店に連れて行っていただきました。
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初めて食べた、湯葉どんぶりです。
私が知っている薄~い湯葉ではなくて、どっぷりとしたまろやかで、口に入れたらとろけるような湯葉で、とっても美味しかったですグッド!
そして昼食後、クライアントさんのご主人の産土神社に参拝
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熊野神社です。
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もともとこの丸太町交差点あたりは、熊野神社の敷地だったのが、どんどん縮小されてしまったみたいでした。

当社は伊弉冉尊を主神とし、相殿に伊弉諾尊、天照大神、速玉男尊、事解男尊を祀っている。社伝によれば、弘仁二年(811年)紀州熊野大神を勧請したのに始まると伝えられる。 嘉承年間(1106~1108年)増譽僧正は聖護院を建立し、当社を鎮守神とし、別当を置いて管理した。平安末期、後白河法皇は度々熊野詣を行ったが、当社にも厚く尊信を寄せ、同法皇が勧請した熊野若王子神社、 新熊野神社とともに京都の熊野三山として、崇敬を集めてきた。応仁の乱により焼亡したが、寛文六年(1666年)聖護院宮道寛法親王の命令により再興され、 その寺域は鴨川に至る広大なものであった。天保六年(1835年)にも大修造が行われたが、その後、大正二年(1912年)の市電軌道敷設により社地をせばめられた。 祭礼は四月二十九日神幸祭、五月十六日例祭が行われる

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拝殿で参拝させていただきました。
実はご病気で亡くなられたのですが、なんとこのすぐ近くの京大病院で最後診ていただいていたそうです。
他の病院の選択もあったのに、この病院に診てもらえたことは、産土様の計らいだったのかなとお話していました。
摂社末社に、神倉社があり、本当に珍しいと思いました。
熊野の神倉神社は、熊野速玉大社の元宮なのです。
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もうひとつ気になったのは、本家八ツ橋さんが境内横にあるのですが、その横にあったご神木です。
もともとこちらも境内だったのではないかと思われますが、注連縄も張られ、榊やお水などもお供えされているのでした。
手をかざすとかなりご神気も強く、本家八ツ橋さんがちゃんと大事にご神木を守っているからご商売もうまくいかれてるのかなとも思いました。

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