念は神様に嫌われる
先日のランチ会の時に話題になった話です。
神様は「念」は嫌うんですよね。
というご質問でした。
そうなんです。
「念」
というのは執着がすごくて、
「絶対にこうなりますように。」
という強い願い事を送り続けると「念」になります。
私がお勧めしている祈り方は、
このように胸の奥(中心核の魂があります)から
優しく光を神様に届くようにして、
そこに思いを乗せて届ける方法です。
「祈り」や「願い」
というのと
「念」
は違います。
「念」はひとりよがりです。
自分のしか考えていない
一方的な願いを神仏に押し付けること。
これをやっている人は、基本的に信仰心がありそうで
ありません。
神仏の事をちゃんと信じ切れていないから
一方的な願いを「念」にして送るのです。
そして叶わなかったら、神仏を恨む。
「なんで願いをきいてくれないですか!」
という風に。
前にも書いたと思うのですが、
神仏は人間だけの祈願を叶える存在ではありません。
「祈り」や「願い」
の場合は、自分本位の願いではなく、
神仏の存在を本気で信じたうえで
「一番いい形になるように後押しお願いします」
という風に最終的には委ねられる祈りです。
この場合、起きた結果に対して、神仏に対して
文句を言ったり、怒ったりすることはありません。
「念」も「祈願」も表裏一体なので、
ついつい「念」になっていないか
時々客観的にチェックして頂いたらいいなと思います。
そんなこといっても、必死で神仏にすがりたくて
お参りしているのだからしょうがないじゃない!
という方は、この世界に目覚めるきっかけとしては
いいのですが、
だんだんと祈り方を変えていくといいですね。
人間の「念」は、臭いニオイがするものを
投げかけられているような感じだそうです。
お互い気を付けてお参りしていきましょう。
↑私も気を付けます。
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