開運研究所公式ブログ

2017.10.12

武蔵国一の宮は三社ある?

神社をお参りするときに、旧国表記がよくあります。

そのひとつが「武蔵国(むさしのくに)」

いきなり武蔵国といわれてもピンと来ないかもしれないので、
地図でどのあたりか表したものです。


(Wikipediaよりお借りしました)

武蔵国は、東京都全域・埼玉県南部・神奈川県北部となります。
その一の宮というのは、その国の中で一番の位を与えられた神社ということになります。

武蔵国に住んでいたり、働いたりされている方は、1年に1度以上は
上司にご挨拶するつもりでお参りしてほしいのが一の宮です。

では、1つの国に1つじゃないのか。と思うのですが、複数存在する旧国が他にも
多数あります。

初めは国司が参る順番に一の宮、二の宮、三の宮と定めたそうですが、
だんだんと民衆の篤い崇敬を背景とした考え方が要因となり、
そのうち、うちが一の宮だ!、こっちが一の宮だ!という論争になったようです。

しかも現在の武蔵国一の宮は、大宮氷川神社氷川女体神社とされてますが、
その前には、多摩市にある小野神社が一の宮とされていました。

そんな歴史もあるのですが、今回は氷川神社の方へ参ります。

大宮の氷川神社は大宮駅から20分くらいで、とても長い参道もあり
有名なので、お参りしたことがある方も多いと思います。

ですが、氷川女体神社や中山神社にはお参りされたことがない方が
多いのではないでしょうか。

武蔵国一の宮 氷川神社

武蔵国(東京都・埼玉県・神奈川県)の一の宮で、武蔵国にある氷川神社の総本宮。
大宮の地名は氷川神社を「大いなる宮居」すなわち「大宮」と称えたことに由来する。
主祭神は須佐之男命・奇稲田姫命・大己貴命。他の氷川神社と区別するために「大宮氷川神社」とも呼ばれる。
武蔵国に住んだり働いたりする方にとって、1年に1度以上はご挨拶しておくべき重要な神社です。

中山神社(中氷川神社)

大宮の氷川神社と氷川女体神社のほぼ中間に位置するところから中氷川神社とも称される。
中川の氷川神社は簸(氷)王子社で、主祭神は大己貴命。
中川の地名は、中氷川の氷が鎮火祭の火で溶けたためという伝承もあるという。
拝殿の前に「御火塚」があり、その名残を残す。

武蔵国一の宮 氷川女體(にょたい)神社

県内屈指の古社で大宮氷川神社とともに武蔵国一の宮といわれてきた。
主祭神は奇稲田姫命で、大己貴命と三穗津姫命が合祀されている。
見沼と深い関係にあり、祭礼の「御船祭」は見沼の御上で行われていた。
しかし、見沼が干拓され、これに代わって出島で「磐船祭」が行われるようになった。
磐船祭祀遺跡も重要なので参拝します。


あまり知られていませんが、昔これらの三社は見沼に面し、
氷川神社が男体宮、氷川女体神社が女体宮、中山神社が簸王子宮とされ、見沼の神を祭っていました。

最近まで大宮氷川神社の奥ある蛇の池は一般の人は立ち入れなかったのですが
今は、舗道が整備されてお参りできるようになりました。

この蛇の池が実はこの神社の中でも重要な場所なのです。
他にもココ!という重要なご存在のいらっしゃる場所をご案内いたします。

みごとに一直線に並んでいわゆる「レイ・ライン」を形成しています。
この三社はオリオン座の三ツ星に例えられ、そばを流れる荒川が「天の川」だという説があります。

明治以降はそれぞれに三神が祭られるようになりましたが、
武蔵国一の宮としては氷川神社と氷川女体神社の二社とされています。

ですが、中山神社も武蔵国にとって重要な復活すべき古社です。

 

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