開運研究所公式ブログ

2022.10.22

【産土神社参拝記録】多摩川浅間神社



続いて、多摩川浅間神社にも参拝しました。

こちらもよく産土神社などになってくださる神社なのですが、参拝するのは初めてです。

七五三シーズンで、平日でしたが、お着物着た家族とカメラマンが何組もいらして、なかなか無人の写真は撮れませんでした。
なので、一番下の鳥居は写真を撮れず(皆さん並んで写真撮られてました)

車を停めて、その駐車場からの様子です。

浅間神社というのは、”せんげんじんじゃ”、と読んだり、”あさまじんじゃ”とも読みますが、富士山の浅間神社は、”せんげんじんじゃ”と読みます。

なのでこちらも”たまがわせんげんじんじゃ”

富士山の神様を祀るので、富士山の形をしているところが多いのです。
富士塚といいます。

こちらの浅間神社さんも、富士塚のようになっていてびっくり!

こんな風に富士山を登る疑似体験のような階段
何合目って書かれている富士塚もあります。

境内がみえてきました。
ちょうどカメラマンさんが撮影されていたので無人の写真ではありませんが、素敵ですね。

あがってしまうと、こんなに立派な拝殿が。

由緒は

今から八百年前の創建と伝えられます。
鎌倉時代の文治年間(1185~90)、右大将源頼朝は、豊島郡滝野川松崎に出陣しました。

夫の身を案じた妻政子は、後を追ってここまで来ましたが、わらじの傷が痛み出し、やむなく多摩川畔で傷の治療をすることになりました。

逗留のつれずれに亀甲山(かめのこやま)へ登ってみると、富士山がじつに鮮やかに見えました。
富士吉田には、自分の守り本尊である「浅間神社」があります。

政子は、その浅間神社に手を合わせ、夫の武運長久を祈り、身につけていた「正観世音像」をこの丘に建てました。
村人たちはこの像を「富士浅間大菩薩」と呼び、永く尊崇しました。これが「多摩川浅間神社」のおこりです。
(公式サイトより)

なんと神仏習合の神社だったのですね。
これは帰ってから知りました。

 

ご祭神はもちろん

木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)

山の神である大山祇神の娘神です。

こんな対のご神木も。
おみくじ結ばれてるのがちょっと残念。

 

末社は

山岳信仰の神様がずらり。

先日お参りしたばかりの三峯神社
小御嶽神社、こちらは御嶽山ですかね。
阿夫利神社、こちらは神奈川の大山

と、食物・農耕の信仰の稲荷神社でした。

めちゃくちゃきれいな見晴台
富士山が見えると勝手に思ってましたが、見えないんですね。

この日いいお天気だったのでちょっと期待していたのですが。

対岸にみえるのは武蔵小杉のマンション群ですね。
増えましたね~。

確かに川をせき止める堤防がないから、洪水になったら、あのビル群までいってしまうのですね。

見た目はいいですけど、安全ではないですねー。今にもあふれそう。

 

ということで一緒に参拝した気分になって頂きましたでしょうか。

 

産土神社は生まれたすぐ近くの神社と思い込んでる方も多いですが、そうとは限りません。

産土神社は自分を一生担当してくださる産土の大神さまが拠点とされている神社のことです。

 

その拠点がどこかを知るには、魂につながる神事を行い、神様の居場所を探すしかありません。

産土神社は一生変わりませんので、自分の産土神社を鑑定していないという方は、ぜひ鑑定して改めてご挨拶してください。

 

神様に通じるお参りの仕方もレクチャーしています。

 

 

産土神社にお参りすることでなぜ開運するのか、神社で開運丸わかりセミナーをZOOMで行います。

10月27日20時からです。

わかりやすく解説させて頂きますので、ぜひお気軽に参加してみてください。

 

 

 

 

 

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